私の1番好きなもの

初めて聞いたZIGGYの音源

私が住んでいた町は、北海道の片田舎。CDも隣町まで行かないと買えない状態。しかも、隣町のCDショップは個人経営だったので、注文しても中々入手する事が出来ない環境でした。兄がいた時は、兄が音楽をテープに録音してくれたので、難なく色々な音楽を聞くことが出来ました。兄は色々な雑誌を買い、深夜の音楽番組を見て、貪欲に好きな音楽を探していくタイプ。私はというと、兄の聞く音楽を横で聞いていて、気に入ったら録音をせがむタイプ。小・中学生の私には自分で探す術もなく、全ては兄任せだった。好みが似ていたので*1横で聞いているだけで良かったのかな。
そんな兄が就職の為、本州に行ってしまった。高校生になった私の音源は、兄が残していったレコードやカセットテープに絞られてしまった。新しいBANDや音楽を追求することなく…
兄が本州に旅立った1988年の初夏に一本の電話が入る。「オススメのバンドがある!絶対気に入るから、聞いてみろ!」と。その時、初めて『ZIGGY』と言うバンドを知った。兄に言われるまま、隣町のCDショップに『ZIGGY』を探しに行ってみるが、案の定入荷していない。注文をしても、店員さんは「??何ですか?それは。何か有名な曲は?」等聞かれ断念。私自身、『ZIGGY』を知らないから、どうしようもない。
数日後兄に電話して、入手困難な事を伝えると録音して送ってくれる事に。送られて来たカセットテープには『HOT LIPS』と書いてあった。早速聞いてみた。全身に鳥肌が立った。電気が走ったみたいだった。「カッコイイ!」なんといっても、ヴォーカルの歌声がすごく好き!良い声だなぁ…。しばらくはそのカセットテープ一本で生活をしていた。
年が明け、1989年。TVで『GLORIA』が流れてきた。ドラマの主題歌になったのだ!『ベストテン』でZIGGYを初めてみた時、更にZIGGYが好きになった。外タレのようなルックスがカッコ良く、メロディアスで綺麗な歌声。もう好みとしか言い様がない。『探してました!森重さん!!』と言う感じで、一目ぼれでした。その頃友達は、歌は良いけどあんな格好の人達だったとは…と割と敬遠がちだったが、私は元々洋楽カブレ。しかもメタル好きである。長髪や化粧なんて驚きもしない。それに、『X』は受け入れられるのに『ZIGGY』は駄目という友達の方が『??』なのだ*2
何はともあれ、グロリア大ヒットのお陰で、『ZIGGY』のCDを入手する事ができるのが嬉しかった。それから、ZIGGYのCDやビデオを買い漁り、新譜が出るのを待った。この年の3月には『NICE&EASY』、7月に『それゆけ!R&R BAD』が発売になる。その頃には、「バンドブーム」と呼ばれる時代。色々なバンドがTVで見られる時代で、嬉しかったなぁ…その中でも、ZIGGYさんは格別に好きだった。
そして1990年、オリコンチャートでNO1を獲った『KOOL KIZZ』が発売され、その中に「ファンクラブ入会案内」があった。迷うことなく即入会!!!生まれて初めてファンクラブなる物に入り、現在も唯一継続中。もう15年になる。
会報が届くようになり、北海道でもライヴをしている事を知る。しかし、片田舎の高校生には札幌に出るというのは、とても困難な事だった。旅費・宿泊費等を捻出する事が出来ない。両親も札幌泊りがけには難色を示す。日帰りなら良いと言うが、19時に始まるライヴで、日帰りできる程札幌は近くない。なんせ片道4時間ぐらいかかる。こつこつとお小遣いを貯め、親を説き伏せ、親戚の家に泊まるという条件で、初めて参戦したライヴは1990年の『ALLorNOTHING』。その後、ZIGGYさんは休業に入ってしまったが、私のZIGGY熱は下がることはなかった。
それ以降この17年間、私の好きなアーティストの不動の第1位は『ZIGGY』なのである。2番以降は、その時々で変わってしまうのだが、『ZIGGY』は絶対的な唯一なのだ!例えメンバーが変わってしまっても*3森重樹一が歌っている限り、私のZIGGY熱が冷めることはないのだ!!!

*1:私、影響されやすいのかも…

*2:友達に言わせると、ああいう格好をしている人達はバリバリなハードロック担当でしょ?グロリアのような歌を歌う人は小奇麗な人でないと…という事らしい。変な考えだなぁ。

*3:joeさんは前から好きだったので、むしろ歓迎でした